第4回JPA勉強会
6月24日(日)13:00~16:00
友愛会館で開催された-今後の難病対策-第4回JPA勉強会に参加しました。
京都は、あいにくの雨。朝、出かけよとしていると、4歳の娘が「お父さん今日は東京か」。ここのところ日曜に月1ペースで行っているのでは、子どもよくわかっているというか、どうせいないものと思っているというか。「じゃ行ってくるわな」と返事。
おおっ今日は500系。もうこれに乗るのも最後かも。来月からは新型のN700系が登場。
1時間ほどして携帯がるるるっ。広島の新家さんから、飛行機が欠航になったので今日は行けないからよろしく。
ひえ~。
10:30、品川に着けば雨は上がっていました。山手線に乗り換え田町で下車、駅前の大戸屋で腹ごしらえ。けっこういけるではないか。おいしい。
店を出たところで雨がポツポツと。
さて、ここからが本題です。
テーマ:「患者の人権と権利法」
講師:患者の権利法を作る会事務局長 小林洋二弁護士
20団体約30名の参加でした。IBD関係では、Kさん(千葉IBD)、藤原(京都IBD)の2名でした。
http://homepage3.nifty.com/kibd/070624-3.jpg
最初に、講演1時間20分、質疑応答で30分
その後、伊藤代表からの情勢報告と全体での意見交換。
講演内容は、運動理論を形成する上でたいへんよかったです。
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以下、簡単な講演のまとめです。
人権とは、人間が人間であるというだけで持っている権利。
フランスの天賦人権論に由来。
患者になれば新たな人権があるというわけではない。
患者の人権とは「患者になっても人権は失われない」ということの表現。
なぜ、患者の人権ということがいわれたかというと、過去に患者になれば人権が侵害された時代があったから。また、人権を放棄しないと治療が受けられないことがあった。
人権は侵害されることにより発見される。
人権には、自由権と社会権がある。
・自由権とは、国家からの自由。(ほっといてくれという権利)
宗教の自由など
医療における自己決定権など
・社会権とは、国家に対して保障(保護)を求める。
経済的条件に関係なく受けられる医療など
憲法25条 健康権など
メディカル パターナリズム→自由の制限を正当化する考え。自由への干渉。
自由権とは、18世紀、有産階級の市民が国家やその権力から財産や身を守るためにできた考え方。この自由権により資本主義が発達していく。
しかし、自由競争や資本主義が発達していく中で人々の間に貧富の差が生まれ、自由権だけでは人間らしく生きられない、ということから社会権(国家に保障を求める権利)が生まれた。
自由権と社会権はどちらも同じように重要。
最近の医療分野では、インフォームドコンセントなど前進したのは、自由権。
しかし、医療制度の後退で、自己決定ができるのは経済力のある人だけになっていく。
社会権は後退を続けている。
対応策として、
資源配分の国民的コンセンサスを作る。
社会資源の配分→それ(医療)が大切だという価値観を国民みんなで共有できればなんでもないこと。
それを増やすとどれだけ多くの人々の幸福になるか。
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本当に大まかな内容ですが、こういった感じでした。
その後、伊藤さんから、
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今日の話を聞いて自分たちの疾病のことを考えてほしい。今までは単にお願いということでしていたが、ベースになるものは人間としての権利というものが根底にある。これを団体に基盤にしていただきたい。
ある病気は自己負担少なくて済むのに、なぜ自分の病気は医療費負担があるのか。
そのためにはある病気を引きずり下ろして、そこに入れてくれということが、それが正等なことなのか。
予算の問題としては当面は厳しいが、基本的にある病気は自己負担が少なくて、ある病気は多くて、また医療が受けられないということがあっていいのか。
それからもう一点は、ある地域に住んでいる人は高度な医療が受けられていて、ある地域は受けられない。あるいはレベルが低い。そういうことがあっていいのか。
日本は最高レベルの医療技術を持っている。それを受けられのが限られて人たちであっていいのか。きちんと受け止めないといけない。 地方では医師不足で一般に医療さえ受けられなくなっている。なぜそれが怒りにつながらないのか。
日本という国が果たすべき役割を果たしていない。その裏には私たちが主張すべき権利を主張していないからということがる。もう少し怒りをもった行動につながらなければならない。
当事者が怒りを切実に感じ、それを伝えなければわかってもらえない。
JPAでは、1団体では力が弱いので手を携えて運動している。パイの奪い合いではない。
日本の特定疾患対策が世界で優れているわけでない。医療制度の欠陥を補っているだけ。
ヨーロッパの先進国では、慢性疾患の自己負担はかなり少ない。
そういった制度を作らなければ、難病対策の焼き直し版で、ある病気を入れ、ある病気を外しということを延々とやっていくことになる。
そういった展望を秘めながら各党に要望書を出した。
今の保健医療入制度を直さないと解決できないということは、各党ともそれほど違和感を持って受け止めていない。それに気がつき始めている。
1年前と今とでは、国会内で難病対策に関する認識は大きく変わってきている。
超党派の議員連盟ができれば、それが突破口になることも。
マニフエストという形では民主党、共産党が難病対策を入れた。
H18年度第4回特定懇は過去とまったくさま変わりした議論になっている。画期的。
今、平成20年度の予算編成に疾病対策課はかかっている。そうするかまだ考えあぐねている。予算変編成に向けて、当然患者団体の意見を聞く会が開かれるものと考えている。本格的には参議院選挙後になる。
もう一つの焦点は、予算編成が煮詰まっていく中で、厚生科学審議会の難病対策委員会が開かれるかどうか。
さらに選挙の結果が大きな影響が出るか?予想がつかないが、焼き直し版でなく大きく動いていくだろう。
そのとき私たちはどの政党にも難病対策について約束をさせ理解をさせることが重要。
我々もそろそろ具体的な案を出していくときに。
我々も気をつけなければいけないのが、卒業ということばが使われている。
難病対策から出て行く病気。新たに入る病気。そういう議論に入ってはいけない。
非常に失礼な言い方。病気が治って卒業ならわかるが、今治療に苦しんでいるのに卒業はない。
もう少し人権ということに着目した胸を張った運動を。
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といった話がありました。
とても良い話でした。
私も昨年の運動で、厚労省には主張、政党には頭を下げて、いわゆる「お願い」を連発しました。
たいした頭でもないので、下げてうまくいくならいくらでも下げていいと思いますが、それでも心の中ではプライドを持っていること。けっして魂は売ってはいけない。
そういった運動をしていかないかんな~と話を聞きながらしみじみと思いました。
また、「人権は、人間として生まれたというだけで持っている」。
健康でも病気でも、所得にも学歴にも関係なく誰でもが。
それを押さえておく必要があります。
それと、私が前から思っていたことに、難病患者への偏見、差別というと、健常者が難病患者に対するものだけではなく、実は難病患者自身にも持っている、ということがあります。
この話は長くなりますので、いずれまたの機会に。
しかし、いろいろ考える機会になりました。
これは私個人的な考え方ですが、
奴隷といういいかたは語弊があるかもしれませんが、
所詮、長いものにはまかれるしかない。どうせ奴隷になるなら、お上のやることに口を出して睨まれれば損をする。それよりも模範的奴隷になったほうが、少しは分け前が増えるのではないか。
制度が後退するのは残念だが仕方ない。それでも自分がなんとかがんばって対応していけばいいんだ。
そういった考えを持っておられる方もあるかもしれませんが、結局それは制度の後退を容認しているのと同じではないか。そこが重要なところかなった思っています。
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